緩和ケアと観相学と目(2)@頂光★ヒールエナジー

緩和ケアの現場で見る心の窓。
目には表情がある。

ある女性患者さんの目の表情を先日見て
ある男性患者さんのエピソードを書こうと思いました。

この話は70代のお客様が「若い人はまだ分からないかもしれないけど、私達世代には沁みる」と言われた話です。

脳腫瘍で半身麻痺のある50代男性患者さん。
リハビリ以外に足に触られるのが初めての体験の方で、初めは「疑心の目」で見る。からのスタートでした。
この頃は少しの単語の会話がやっとの頃で、会話にキャッチボールはありません。
足のマッサージを受けている時、ベット周りでは家族が見守り、家族は男性に話かけています。
家族はずっと・ずっと話かける。
そこに家族の思いを感じながら、私は動かない方の足のマッサージを行っていました。

その光景の中、動く、反対側の足に反応がありました。

顔を見ると動く半身側の手が目の近くにいき
目を覆うような・・・
目を掻いているような・・・仕草をしていました。

少しすると動かない側の足を、
マッサージしている私の手の上に、
男性患者さんの動く方の足をピッタリとくっつけてきます。
そしてマッサージで動く私の手の上から離れない。となりました。

男性患者さんの動く方の手は、何度と目の近くに・・・となっていきました。

脳腫瘍の半身麻痺のため表情の変化は見当たりません。
ですが目は心の窓。
足元にいる私から見て既に「疑心の目」ではなく、
その時の目は「黒く湿り気を持ち光り」、すごく「黒く」見えたのが印象的でした。

以前、
前日に急変し次の日には話が出来る状態になられた50代の女性患者さんの目を思い出しました。
「おいでおいでと呼ばれたの」
「でも今ここに居る」
そう言って喉の渇きを何度も潤しながら一生懸命その時の事を話す。
その時の目も「黒く湿り気を持ち光り」、すごく「黒く」同じように見えたのが印象的でした。

「目の黒いうち」と言いますが、観相学では目の色や光に、健康や勢いを見ます。


一か月後2度目にお会いする前、病棟の廊下で家族の方が私を捕まえ、言葉を詰まらせながら
「足の刺激から発語しだすようになりました」と言いに来られました。

そして足のマッサージ中、私が単語で話しかける言葉に単語でコミニケーション出来る姿となっていました。

顔の近くに行くと名札をくいるように見、
「次も来ますね。またよろしく」と手をだすと疑心の目ではなく
「よ・・・ろ・・・し・・・く」と一言一言ゆっくりですが言い、
手を出し強く握手を返してこられた姿に、
心は観、聴き、喜び、硬くなり、柔らかくなりを行う。
人の器官は心に左右されている。
心のレベルは表現に影響を与える。
そう思ったのでした。

「刺激ってやっぱり大事だと思った」と言ってたこの時の担当看護師さんは、
今は訪問看護で頑張っています。
先日病棟の廊下を、私の名前を呼び走りながら手を振っていた姿・目がイキイキしていました。

「目は心の窓・目は心を映し出す鏡」観相学では教えます。
目の喜怒哀楽の表情には文化差はほとんどないと言われています。
そして緩和ケアでは「瞳の変化は言葉以上に真実を語る」を見る事があります。

気表(けほ)とは顔の語源の言葉。

観相学の見方で見ると違うものが見える。
気持ちの表れ。
目にみる今の心。

医療者ではない一般人だから違う立場だから見えるもの。
1つの出来事も違う目で見るとまた違った物に見えるもの。

顔のドラマや顔の話。
緩和のノートから見える命・自分の表現。
案外家族も知らない小さなドラマがあることを書いて残しておこうと思っています。


~追記~

http//www.healenergy.biz
観相学の話
ここからも発信しています。

ご質問がありました。
観相学の学びについて。
基礎の学びは協会で教える事と同じです。

伝えたい事。
伝えるにあたり大事にされている部分は先生によって違う。
先生によっての違いは個性の違いと思います。

ここでは観相学の学びと共に
「心と身体と顔は繋がっている」を学びの中で知ってもらっています。
ここの個性はそこにあります。